2012...

2011...

オムロン
Made In Den Bosch

「5年後に中国の賃金は欧州レベルになる」
中国経済が不調になる前に、機器製造の拠点を中国から再びオランダのデン・ボス市へ戻した

オランダ西南部ノールト・ブバント州デン・ボス市にあるオムロン社(Omron Manufacturing of the Netherlands B.V.)の受付ロビーでは、テレビスクリーンでデモムービーを映している。チョコレートバーがベルトの上を高速で進みながら、包装材の巻きつけ、貼りつけ、切断がされていく。高速で精度の高い作業は、コンピュータ制御の機械と高精密なカメラによって可能になっている。

 このコンピュータシステムとカメラは、日本のオートメーション機器製造の大手、オムロン社の製品。同社は、世界中に210ヵ所の生産拠点と3万6,500人の従業員を抱え、年間総売上高は
60億ユーロに達している。同社製品には血圧計、交通機関の切符・カード自動化システム、自動車用各種センサー機器などがある。多くの企業と同じように、オムロンも21世紀の初頭 10 年の間に、生産拠点の大部分を低賃金の中国に移転した。しかし現在、中国の生産拠点の一部をデン・ボス市に戻している。

 これは「リショアリング」と呼ばれる手法だが、現在の中国の不景気とは関係なく、すでに3年前には、オムロン経営陣が決定していた。「売上製品の50%から70%が中国で生産されていた時期もありました。しかし、長期的な展望に立った時、中国の賃金が毎年10〜15%で増加しており、5年後にはヨーロッパのレベルに並ぶことが予想され、リスクが高いことが判明したのです」とデン・ボス事業所のポール・ソレヴェイン・ゲルプケ(Paul Sollewijn Gelpke)所長は語る。    

 また、2010年の中国の政治的混乱により多くのストライキが発生した。広東市にあるオムロン社に自動車部品を供給する企業でのストライキがその一例である。そのうえ、為替レートの変動が最終的な利益に大きく影響した。リスクをより効果的に分散するため、市場の近くに生産拠点を置くことが決定された。デン・ボス事業所にとって、この方針変更が大きなチャンスとなったのである。

 2005年当時には、中国へ生産拠点を移転したことで、デン・ボス事業所の従業員は大多数が解雇され、さらに数年後の経済不況で、同事業所は閉鎖に追い込まれそうになった。売上高が30〜40%も減少したため、オランダ社会労働省の「雇用延長維持のための特別助成金」を受けることとなり、その期間が制度の最長限度である24週間になったほどに、同事業所の存続の危機だった。

出荷時のセットミスはゼロに

 「中国の生産ラインにデン・ボス事業所に戻ってきてほしければ、中国より安くできなければならないと、我々は理解したのです。数ヵ所の簡単な調整だけで、中国では8人がかりだった生産ラインが、3人で動かせたのです」と所長は語る。 同氏が、変更した箇所のひとつを見せてくれた。箱にプラグ、コード、電池の封入作業をしている女性に「ミランダ、ちょっとミスしてみてくれませんか」と頼む。ミランダがわざと何かを入れ忘れると、その部品箱のライトが消えず、箱に貼るラベルもプリンタから出てこない。「ご覧のように、この簡単なシステムで、チェックする人がいなくても、部品が欠けたままでは出荷できないのです」と説明する。

 デン・ボス事業所ではさらなる事業の拡張を目指した。「我が社の事業分野にとって、ヨーロッパには大手製造機械メーカーも革新的な産業技術の開発会社もありますから、その需要に応えたいのです」と所長は言う。研究開発部50人が製造機械を使いやすくするために、ヒューマン・マシン・インターフェースと呼ばれるタッチスクリーンで使用できるコンピュータを開発した。日本のオムロン本社は、この自発的な活動を高く評価、応援し、デン・ボス事業所をヒューマン・マシン・インターフェースの全世界製造責任事業所とした。所長がその進歩したコンピュータのプリント基板を見せてくれた。「この基板には1600種類のコンポーネントが組み込まれているのです。」

根回し

 ソレヴェイン・ゲルプケ氏が所長を務めるこの3年の間にも、積極的に取り組めば日本のオムロン本社が様々な可能性を示してくれることが分かってきた。「しかし、日本のやり方をまず理
解しなければならないのです。とくに文化の違いです。」 日本企業で何かを変えようとする時、全関係者の意見を聞く時間が必要で、焦らず意見の一致を目指すべきで、このように下から話を回すことを根回しと言う。これを上手にやれば、正式な会議の時点ではすでに全員に内容が理解されていて、最終決定は形式的なものになる。
 はじめのうちは時間が無駄なように思ったが、今はそうではない。「決定したらすぐにスタートできます。アメリカの会社のようにトップ決定が上からおろされた場合、そこから問題が始まるのです。現場の従業員まで決定内容が徹底されるには、さらに時間がかかりますから。」

 所長にとって、伝統的な上下関係のルールについてもいろいろと学ぶ必要があった。「たとえば会議の時、最も若い社員が動いたりアシストしたりするために、入口に一番近い席に座る、などですね。」


7人の侍

 オムロンという社名は、設立者の立石一真氏が、1933年に前身となる会社を京都市の御室(おむろ)で始めたことによるもの。同氏はズボンプレッサー、ナイフ研磨機などを販売したが、うまく軌道に乗らなかった。そこで病院のX線検査用の精密タイマー時計の開発生産に打ち込んだ。そのタイマー時計が得た大きな需要で会社が成長できた。
 1958年には同社の研究者7人がスイッチなしで点滅するセンサーを開発した。当時、大企業でライバル会社であったゼネラル・エレクトロニクス社などでさえ開発できなかった技術だった。そのためこの研究者たちは『7人の侍』と呼ばれた。1971年には世界初のATM機を市場に出した。


 2007年には、現在ほとんどのスマートフォンで利用されている顔認証技術を可能にした。オムロン社は特許11,000件を保有し、売上高の7%を毎年研究開発に投資する。フォーブス誌が掲載する世界の大企業2,000社に選ばれている。デン・ボス事業所は、ヨーロッパ・アフリカ・中東地域で最大の事業所である。この3地域でオムロン社の売上高の19%を占める。所長は、この地域の売上高が今後6年間で倍増し10億ユーロに達すると予想している。

 デン・ボス事業所は、今後2年間で3倍に成長する。新しい生産ラインが既に稼動しており、現行の1班から「2班、3班まで増えますよ」と言う。「従業員も現在の300人から、さらに50人を採用する予定で、拡張のための敷地も十分にありますから」と、事業所に面する広い芝生を示した。

 

(2015/9/23)
Source : NRC Handelsblad紙
記者:エステル・ヴィッテンベルフ

OMRON Manufacturing of The Netherlands B.V.(OMN)
http://www.omron.com/global/

(内容はオリジナルのオランダ語記事を和訳したもので、オリジナルを正本とします。)