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進むオランダ商館の復元、平戸でも出島でも

●平戸

平戸のオランダ商館は、16 0 0 年に現在の大分県臼杵湾に漂着したデ・リーフデ号をきっかけに16 0 9 年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が東アジアの貿易拠
点として、平戸城主松浦隆信公の導きによって平戸に設置された。江戸幕府が鎖国政策を始めるまで、オランダの重要な貿易拠点だった。当初は土蔵が付属した住宅1軒を借り、その後の貿易拡大に従って施設が拡大整備されていった。しかし1639年建造の倉庫にキリスト生誕にちなむ西暦年号が示されているとして1640年、当時の禁教令の下、将軍徳川家光の命により全ての建物の破壊が命じられたため、1641年5月に長崎出島へ移転。33年間の平戸オランダ商館の歴史に幕が下ろされた。

江戸時代を通じてオランダ名で呼ばれていた商館の遺構を抱える跡地は、1922年「平戸和蘭商館跡」として国史跡の指定を受け、1987年から本格的な発掘調査が開始。江戸時代初期の国際貿易、キリスト教の布教・禁教など、日本の対外政策の歴史上の重要性、平戸の歴史文化としても重要な史跡であるとして、1639年築造の倉庫(長さ約46m、幅約13m、約2万個の砂岩を使った2階建てで日本初の洋風建築)の復元、環境整備が進められ、2011年9月に完成、正式開館した。

http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/


●長崎・出島

一方、平戸からの商館移転を受けた長崎・出島は13,000m2の扇形の人工島。そこを通して日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化の交流が行われ、日本の近代文化に大きな役割を 果たしたとして、1922年、「出島和蘭商館跡」として国指定史跡となった。

明治以降、周辺の埋め立て工事が進み、1904年の港湾工事によって、海に浮かぶ扇形の出島の原形がなくなり市街地の中に埋もれてしまっていた出島は、その歴史的価値を未来に残そうと出島復元整備事業が展開されることになる。1996年に具体的な復元整備計画が策定され、本格的な復元整備事業がスタートした。以来、復元へ向けて土地の買収などに時間がかかりながらも、2000年から2006年春までにすでにカピタン部屋をはじめとする10棟が復元・公開されている。

建造物25棟の復元や扇形をした出島の輪郭をあらわす周辺の石垣などの修復、史跡内にある明治期等の建物の整備活用にも取り組むことになっており、最終的には2016年を目標に出島表門橋を架橋して四方に水面を確保し、19世紀初頭に和蘭商館長ブロムホフや商館医シーボルトたちが活躍した時代の出島の扇形の完全復元を目指している。

 

(2013.08)
Source : Nagasaki Prefecture
http://www.pref.nagasaki.jp/